夜の帳がおりた古都、京都の時間。
人々の眼が一斉に周りの山に注がれている。
京都夏の風物詩、五山の送り火がはじまる。
五山の送り火は東山如意ケ嶽の「大文字」が有名だが、そのほかに金閣寺附近の大北山(大文字山)の「左大文字」、松ケ崎西山(万灯籠山)と東山(大黒天山)の「妙法」、西賀茂船山の「船形」および上嵯峨仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山)の「鳥居形」がある。
五山なのに、灯される送り火は6つ。なんともユニークだが、昔はもっと数が多くあったらしい。
この送り火の起源はいつなのだろう。有名な如意ケ嶽の大文字だけでも様々な諸説があり平安初期に空海が始めたとか、室町中期の足利義政だという話もあれば江戸初期、近衛信尹だったなど、時代も様々だ。
送り火そのものは盆の翌日に行なわれる仏教的行事、「報恩経」であり、あちらの世界に帰る精霊を送るという意昧があるといわれる。でも元々、京都の地に夜、松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を見送るという風習があったそうで、五山の送り火は、これが山に点火されてそこに留ったものといわれている。
さて、今回、とあるご縁でこの五山の送り火を鑑賞することができた。点火時間前になると屋上にあがり、目の前の山を眺める。ワイワイ話しをしていると瞬間、空気がかわった。誰もが気づく。点火がはじまったと。
右手から東山如意ケ嶽の「大文字」が空に浮かびはじまる。
歓声とともに、次々と京都の山々に文字が現れだした。
20時10分。目の前の 松ケ崎西山(万灯籠山)に一つの灯りがついたと思った瞬間、瞬時に「妙」という字が灯る。
ワーという歓声とともに、人々が手を合わせて祈る。
めらめらと燃える「妙」。
その妙に濁点がついているのを気にしていると、
「あれは昔の妙という字。だから濁点がついているんよ。今の字とちょっと形違うでしょう」と地元の人が教えてくださった。
ひとつひとつの火がまるで生き物のように揺れる。そう、生きているかのように。
その字を眺めていると、頭の中に父や祖父、幼い頃の記憶が走馬灯のように流れだした。
あ、ここに今、父がいると思った瞬間、五山の送り火の松明のひとつが大きく揺れた。
「もうかえるん?」「もっとおってーな」とその松明に向かって話かける。
その声に答えるかのように炎は揺れる。
「話したいねん、もっとおりーよ」。父に甘えん坊だった頃の自分がだだをこねる。
そうはいかんわと笑うように炎がボッと大きくなった。
次の瞬間「妙」の字がどんどん小さくなり、そしてひとつひとつ灯りが消えていく。
「みんなかえりはったな」。その言葉と同時に夢か現かの世界から引き戻された。
またね、父さんと文字の消えた山に向かって手を合わせる。
再び、夜の帳が古都に降りたとき、
2013年、夏の五山の送り火は幕をおろした。
ちなみに
「五山の送り火を飲物にうつして飲むと無病息災になるで」という話を耳にしたので、
gon麹、しっかりお酒に「妙」をうつして、いただいたのは間違いなし。
↑新しく登録中です。こちらもぽちっとよろしくお願いします。by gon麹
DATA
五山の送り火 HP http://www.kyokanko.or.jp/okuribi/kigen.html
@京都市観光協会より借用。
人々の眼が一斉に周りの山に注がれている。
京都夏の風物詩、五山の送り火がはじまる。
五山の送り火は東山如意ケ嶽の「大文字」が有名だが、そのほかに金閣寺附近の大北山(大文字山)の「左大文字」、松ケ崎西山(万灯籠山)と東山(大黒天山)の「妙法」、西賀茂船山の「船形」および上嵯峨仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山)の「鳥居形」がある。
五山なのに、灯される送り火は6つ。なんともユニークだが、昔はもっと数が多くあったらしい。
この送り火の起源はいつなのだろう。有名な如意ケ嶽の大文字だけでも様々な諸説があり平安初期に空海が始めたとか、室町中期の足利義政だという話もあれば江戸初期、近衛信尹だったなど、時代も様々だ。
送り火そのものは盆の翌日に行なわれる仏教的行事、「報恩経」であり、あちらの世界に帰る精霊を送るという意昧があるといわれる。でも元々、京都の地に夜、松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を見送るという風習があったそうで、五山の送り火は、これが山に点火されてそこに留ったものといわれている。
さて、今回、とあるご縁でこの五山の送り火を鑑賞することができた。点火時間前になると屋上にあがり、目の前の山を眺める。ワイワイ話しをしていると瞬間、空気がかわった。誰もが気づく。点火がはじまったと。
右手から東山如意ケ嶽の「大文字」が空に浮かびはじまる。
歓声とともに、次々と京都の山々に文字が現れだした。
20時10分。目の前の 松ケ崎西山(万灯籠山)に一つの灯りがついたと思った瞬間、瞬時に「妙」という字が灯る。
ワーという歓声とともに、人々が手を合わせて祈る。
めらめらと燃える「妙」。
その妙に濁点がついているのを気にしていると、
「あれは昔の妙という字。だから濁点がついているんよ。今の字とちょっと形違うでしょう」と地元の人が教えてくださった。
ひとつひとつの火がまるで生き物のように揺れる。そう、生きているかのように。
その字を眺めていると、頭の中に父や祖父、幼い頃の記憶が走馬灯のように流れだした。
あ、ここに今、父がいると思った瞬間、五山の送り火の松明のひとつが大きく揺れた。
「もうかえるん?」「もっとおってーな」とその松明に向かって話かける。
その声に答えるかのように炎は揺れる。
「話したいねん、もっとおりーよ」。父に甘えん坊だった頃の自分がだだをこねる。
そうはいかんわと笑うように炎がボッと大きくなった。
次の瞬間「妙」の字がどんどん小さくなり、そしてひとつひとつ灯りが消えていく。
「みんなかえりはったな」。その言葉と同時に夢か現かの世界から引き戻された。
またね、父さんと文字の消えた山に向かって手を合わせる。
再び、夜の帳が古都に降りたとき、
2013年、夏の五山の送り火は幕をおろした。
ちなみに
「五山の送り火を飲物にうつして飲むと無病息災になるで」という話を耳にしたので、
gon麹、しっかりお酒に「妙」をうつして、いただいたのは間違いなし。
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DATA
五山の送り火 HP http://www.kyokanko.or.jp/okuribi/kigen.html
@京都市観光協会より借用。